毎日が実験。人生は実験のくり返し。

コロンビアの戦略

コロンビア大学の250周年記念パーティが日本の卒業生会で開催された。話を聞いて驚いたのだが、国内には1500人もの卒業生のメンバーがおり、今回のパーティには、600人近くの卒業生が参加をしていました。ちなみに僕はまだ現役なので、既に卒業をした友人に誘ってもらいました。

驚いたのがコロンビアの学長がわざわざ来日して、スピーチをしてくれました。スピーチの内容としては、今後、コロンビアは海外からの学生をより多く受け入れることを進めていくとのことでした。911によって、ニューヨークへの留学というのは、多少難しくなった(テロ防止のため)と言われていますが、今回のコロンビアの対応は、911からのアメリカの回復を現しているのかもしれない。

学長
㊤ボリンジャー学長

あともう一つ驚いたことがあり、コロンビアがハーレム寄りの敷地を購入して、そこにキャンパスを作るという構想があるとのことでした。現在、コロンビアはハーレムから約10ブロックぐらい離れたところに位置しており、キャンパスまわりは安全でも、ハーレム周辺については、夜は危険かもしれないと言われています。事実、ハーレムについては、昔のイメージからかなり変わり、多少は安全になったとは、僕がニューヨークにいた時には感じられていましたが、ハーレムを夜1人で歩くことは、普通はしないように心がけていました。

実際に今度コロンビアが購入する予定の敷地は、まさにハーレムに面した土地であり、これによって、たくさんの住人たちが立ち退きをすることになるので、ハーレムに住む住人から反感を買うのでは?と僕は懸念しています。別に犯罪者ばかりが住んでいる場所ではありませんが、犯罪率が低い場所ではないことは確かであり、そこの住人に対してケンカを売るようなことは、今後、新しく提供されるキャンパスに通う学生に対して有意義なこととは思いません。コロンビア学生狩りとか起きなければいいと思っています。

いつかはまたコロンビアの周辺に住もうと思っていたのですが、ちょっと住む場所は考えないとな・・・。

人が集まる空間

僕は熱狂的なスターバックスのファンです。いつも近くにスタバ(略)があれば必ず飲み物を買いに行きますし、食事の後にスタバが近くにあれば必ず寄っていこうとします。それはなぜかというとスタバの作り出す空間が心地よく感じるからです。現在、僕はコンピュータを使った教育システムや環境・空間を作りだす研究をしています。もちろん、それもありスタバが作り出す「空間」に興味を持ちました。知っている人は知っていると思いますが、あのスタバが内装のデザインはすべてスタバ創立者・シュワルツ氏がいろいろな調査の結果作り出したものなんですよ。

「THE THIRD PLACE」、第三の空間・場所。そうシュワルツ氏はスタバの空間を呼んでいます。そしてその「第三の空間」が人間が本当的に求める空間だと言うのです。さて、第三の空間とはどういうものなのでしょうか?シュワルツ氏は第三の場所をこう説明しています。

第一の場所(FIRST PLACE)は家庭・家。自分が帰る場所。第二の場所は学校や会社。自分が働いたり、いろいろな目的を達成する場所。そしてその間にあるのが第三の場所であると。人間は毎日、第一の空間と第二の空間を移動している。しかし、それを繰り返せば繰り返すほどストレスが溜まり、すべてにおいて能率が悪くなっていく。そのストレスを解消するために人間が求めるのが第三の空間のようです。実際、アメリカ、特にNYでは殆どの会社員や学生がスタバで勉強をしたり、仕事の話をしたりしてストレスを発散している。

さて、ここで僕が思ったのはこの第三の空間を教育や子供のために使えないであろうか?そんなことを考えるにつれ僕はこの第三の空間についていろいろと考えてみた。その結果、感じたのは人間は第三の空間というよりは、「孤独で寂しくない空間」を求めるのではないのかと思う。自分自身の空間なのだが、周りに同じような孤独な空間を所有している人たちがたくさんいて寂しくない空間。そんな気がする。

よい例として、漫画喫茶がある。それは漫画というものが一番の理由などだと思うが、これも孤独で寂しくない空間を持てる場所だから人が集まるような気がする。漫画を読んでいる時は孤独だが、ふと回りを見ると同じように孤独な世界に浸っている人たちがたくさんいる。その他には、パチンコ屋などもギャンブル性以外に、やはり孤独に浸れる空間だからではないだろうか?パチンコ台が個室だったら誰もやらないような気がする。まわりに孤独な空間をもつ人たちが集まるから流行るのだろう。

そう考えて見ると人間というものはいかに自分勝手な生き物だということがわかる。孤独に自分勝手にやりたいのだが、一人では嫌だ。ある意味、矛盾している。僕自身もそうなのだから別にだからいけないとといっているわけではないが、そう考えてみると人間は複雑で面白い。

一言: 人間は弱い生き物の癖に強がらないと生きていけない。

偏見は強い味方

今年で海外生活12年目に突入するが、僕は今までアジア人に対する偏見にかなり悩まされてきた。「日本人は頭がいい」とか「日本人は金持ちだ」とか「アジア人はみんなカラテができる」とか…。こっちからしてみれば、まったくアホらしい偏見なのだが、彼ら外人にしてみれば、それがアジア人に対しての一般的なイメージなのだ。僕は12歳の時にアメリカに移住したのだが、いきなりこのイメージに悩まされたことがある。渡米して初めて入学した現地中学校でも、「うちの学校はESLはないが、正康は日本人だから英語もすぐ覚えるだろう」なんてことで、ABCもかけないのにESLなしの普通のプログラムに入れられ大変な思いをしたことがある。

つい最近も「日本人はサッカーが下手」という偏見になやまされたことがあった。今僕が住んでいるインターナショナルハウスという外国人学生専用の寮では、屋内サッカーチームがあり、毎週3回練習試合が行われている。しかし、初めてそこの練習に行ったときには誰も相手にしてくれず、パスもロクに回ってこなかったのを覚えている。確かに、スペインやブラジルからの学生は上手いのだが、僕だって子供のころからサッカーをはじめ、イギリス遠征チームなどに選ばれたこともある実績があり、正直なところ、その辺の素人学生より下手なわけはない。しかし、いつもサイドラインに座っているのはアジア人だった。そして、日を重ねるごとにアジア人の参加者は減っていった。僕はそんな中でも諦めなかった。パスが回ってくるたびに自分のアピールをした。するとある日、ドイツ人のプレーヤが自分のチームに誘ってくれたのだった。結局、彼らに認められたのだが、「日本人なのになんでサッカーが出来るんだ?」などと誘われた時に聞かれたのを覚えている。

今まで、海外でいろいろな偏見に悩まされたと書いたが、正直をいうと、それほど嫌ではなかった。なぜならば、偏見を上手く利用することによって、得することも可能だからである。「日本人はサッカーが下手」もその偏見の壁を破ることで、逆に「日本人なのにサッカーができる」というように目立つことができる。また「日本人は頭がいい」というのも、周りと同じことをしているだけで、「やっぱり頭がいい」などの恩恵を預かることができるわけだ。しかし、そのような偏見というのは海外だけに存在するわけではない。たとえば日本で宇多田ヒカルが爆発的に売れたのも、ある意味で日本人が日本人自身に抱く偏見が一役買っているんじゃないだろうか?「日本人なのに、音楽センスがすごい。」彼女がアメリカ人の血を引いていたら、あれほど売れたのかな?ちょっと気になる。

しかし、偏見を破ることや、偏見についていくというのは、それなりの努力がいると思う。宇多田ヒカルにしても、むちゃくちゃな努力をしただろうし、僕だって英語が出来ない時に学校に入れられた時は、努力はないかもしれないが、それなりに苦労はしたのを覚えている。さて、現在もいろんな偏見に悩まされている人たちはいると思いますが頑張ってください。壁の向こうに必ずいい事がまっているはずです。ローマは1日にしてならず。宇多田ヒカルも1日にしてならず。森田正康、現在、努力中。

一言: 偏見なんて所詮は人の意見。

勘違いって怖いよね…

人間誰もが勘違いをするわけで、今までそんなことした事ないなんていう奴はいないと思うんだよね。でも、時と場合によっては、そんな勘違いがとてつもない笑いを生むことがあるんですよ。特に言語系の勘違いになると最高です。今日はそんな話をしていこうと思います。例えば、英検の面接で知り合いのA君が体験した話だそうですが…。

面接官: What sports do you like? (どんなスポーツが好きですか?)
A君: I am a volleyball. (私はバレーボールです。)

…もちろん、面接官は彼を指差して笑ったそうです…。ま、そりゃ笑うわな…目の前で「僕はバレーボール」って言っている奴はいるわけだからさ…。でも、個人的には彼にバボちゃんのぬいぐるみ着てやってほしかったです。アホやな…。あ、彼が合格したかは、ご想像にお任せしますっていうか、そっちの話のインパクトが強すぎて覚えていません。

さて、次の話です。この話は海外の日本人向けのどっかの新聞で掲載されていた話だったと思うのですが、設定として日本人の奥さんと日本語を勉強中のアメリカ人の旦那さんの夫婦がケンカしていた時の話らしいです。

はい、それでは正解から…

正解○
妻:「#4%‘#%#@4#’%#%#$!!!」(とりあえず、日本語で文句いってます)
夫:「バカモン!」(アメリカンな発音でどうぞ)
妻:「ごめんなさい…」

だったわけですが…、旦那さんは間違えて…

不正解×
妻:「#4%‘#%#@4#’%#%#$!!!」(とりあえず、日本語で文句いってます)
夫:「バケモン!」(アメリカンな発音でどうぞ)

と言ってしまい、ケンカが余計ひどくなったそうです…。ご愁傷様です…。さて、こんなのはどうでしょう?

不正解×
妻:「#4%‘#%#@4#’%#%#$!!!」(とりあえず、日本語で文句いってます)
夫:「ゴエモン!」(アメリカンな発音でどうぞ)
妻:「ぬぅあにぃ~?」(カブキ調でどうぞ)

ま、カブキ調で返してくれる奥さんの愛が見えますね…。では、次…。

不正解×
妻:「#4%‘#%#@4#’%#%#$!!!」(とりあえず、日本語で文句いってます)
夫:「ポケモン!」(アメリカンな発音だと「ポキモン」なります)
妻:「ピカチュ~」(はい、アメリカでもピカチュウは「ピカチュ~」と「ピカッ」しか言いません)

なんかかわいくないですか?これで喧嘩も仲直りでしょう。ホントかよ?おい…。そんじゃ、最後に。

不正解×
妻:「#4%‘#%#@4#’%#%#$!!!」(とりあえず、日本語で文句いってます)
夫:「ドラえもん!」(アメリカンな発音でどうぞ)
妻:「どこでもドア~!」(実家に帰る)

こんなのオシャレでいいですよね?本当にドラえもんだったのでしょうか?この奥さんは…。

ま、そんなわけで勘違いってめちゃ怖いでしょ?う~ん、やっぱり言葉って難しいね。とりあえず、こんなことをボーっと考えている僕はすげ~暇人なわけで、やっぱ、平和っていいなぁ~なんて思ってしまいます。でもさ、実際いろんな考えや文化をもった人間同士が集まっているこの世界では、本当にちょっとしたことで争いや戦争が起こってしまうんだよね。もう少し、お互いが相手の言葉じゃなくて気持ちを理解できれば、争いもなくなるような気がします。あれ?なに僕、まじめやってんだろ。今日は笑い系なのにさ。

ほいじゃ、最後にもう一つ小話を…。

彼氏に振られた娘を慰めるために、アメリカ人の父親が「おまえ、人間は顔じゃないぞ。」と言おうしたところ間違えて…。

「おまえの顔は人間じゃないぞ…」

と言ったそうです。はい、ご愁傷様です。

一言: 理解しなきゃいけないのは、言葉より心だよな。

はじまり。

9月29日、夜10:00。僕はサンフランシスコ空港に家族といる。これからレッドアイでニューヨークに向かうところ。レッドアイというのは、夜出発して朝到着する便のことを意味する。きっと、飛行機の中で眠れない人たちが朝、空港に着いた時に赤い目をしているからだと思う。サンフランシスコはとても楽しかった。4日間しかいれなかったが、家族団欒で久しぶりにすごせたし、親友とも話ができ、とても有意義な滞在だった。

簡単に食事をしている時に父親が搭乗券を見ながら言った。「あ、ゲート番号42番じゃん、死人番号だね。」よくまぁ~、今から飛行機に乗る息子にそんなことが言えるのか、ある意味驚きはしたが、それがまた父らしく嬉しかった。でもなにかゲートをくぐったら魂を吸い取られるような気がしてきた。もともと僕は死ぬことを恐れてはいない。だけど、心が死んだまま生き続けることはしたくないと思う。「NYに行くことで死人のようになってしまうのかな?」そんなわけのわからないことが断片的に浮かんできた。

そんな矢先、父親の携帯電話に弟からの電話が飛び込んできた。弟は2日前に車を買ってもらったので、今日は早速、彼女とデートに繰り出していた。でも、一応、自分の兄貴の出発日は覚えていたようで電話わざわざくれたみたいだ。これも弟らしくて嬉しかった。さすが、いろんな意味で僕と同じ血が流れているだけはあるようだ。「御兄ちゃんごめんね。行ってらっしゃい。」「おう、お前も運転気をつけるんだぞ。サッカーがんばれよ。」短い会話ではあったが、お互いの気持ちは伝わったと思う。

さて、搭乗時間がやってきた。僕は妹と母と抱き合って別れを継げた。無論、父親はとっくに出口のほうに向かっていて「がんばれよ」と一言いいながら背中を僕に見せた状態で軽く左手を振っていた。なぜかわからないが父親の背中からやさしさが感じられた。家族と別れを終え、僕は死人のゲートをくぐっていた。座席番号をチェックするとそれは13列目だった。相変わらず、僕らしい。とことんオチを付けたいようだ。そして僕は42番ゲートから出発する飛行機の13列目に座り、目的地ニューヨークへと旅立った。ある意味、何十ゲート、何十席とある中から42と13を引き当てた僕の運のよさはすばらしいなと感じた。相変わらず、僕は楽天的のようだ。どんな苦しいことがNYであってもやっていけそうな気がした。

そして朝。NYが近づいてきた。早速視線を窓のほうに向けた。きっと、高層ビルが僕を迎えてくれるんだと期待していた。だけど見えたのは普通の住宅地っぽいとこだった。多分、着陸の時はマンハッタンの上は飛ばないのかもしれない。がっくし。でも、これも僕らしい。空港を出た僕の胸はある意味、不安と期待でどきどきしていた。ニューヨーク。一体どんな街なんだろう?僕はここで生きていけるのだろうか?ついにこの田舎者もNYまで来たのか…。僕は死人になるのだろうか?それとも何かをここから勝ち取ることができるのだろうか?本当に明日からが楽しみである。でもどんなことが会っても心が死んでいる人間にはなりたくない。新しいものを追いかけ続けながらときめいていたい。なぜかそんなことを考えながら僕はタクシー乗り場へと向かった…。ニューヨーク。ここが僕の新しいスタート地点。

一言: いつも心に好奇心を…。